今や、インターネットに
情報が山と溢れかえっていますので、
情報に事欠かないどころか
情報過多、洪水状態です。
しかも、
信頼できるものも
そうでないものも
ごった返しているので、
選別作業も必要になって来ます。
たとえば、
海外の、まだ行ったことのない場所について
検索しようものなら、
もう既にそこへ行って
帰ってきたと、
思ってしまうくらい
山ほどの情報を得られます。
でも、どれだけ情報を仕入れ、
既にそこへ行ったかのような
気分になっても、
実際に現地を訪ね、
直に、その土地の
空気や、
人々や、
文化に
触れるのとは、全く違います。
実際に現地へ行って、
自分で体験しなければ、
それらの情報が
本当かどうか、わかりません。
また、それらの情報が、
自分にとって適切であるかどうかも、
わかりません。
ネットで絶賛されているような
お店や場所が、
実際に行ってみると、
拍子抜けするくらい
なんてこと無かったり、
自分には響かなかったりすることも
多々、あります。
逆に、行き当たりばったり、
嗅覚のままに、
ネットでは見当たらなかったような場所に、
ふらっと訪れたところ、
心を揺さぶられ、
涙が止まらなくなってしまうような
場所に出会えることも
よくあります。
お店にしても、
なんとなく導かれるがままに
散策したいたら、
ふと目の前に現れたお店が
まさに自分の趣味で、
入ってみると
その時自分が求めていた情報や
出会うべき人と
出会えたりすることも
少なからずあります。
ですから、
私は、旅行するときも、
初めてどこかへ行く時も、
基本的に、下調べせず、
旅程も組まず、
行き当たりばったり。
その時々の気分で、
心の赴くままに
行きたいと思う場所へ
行きます。
また、一旦
行き先を決めても、
途中で、気が変わったり、
興味が失せたり、
なんか違うな〜と感じたりすれば
またその気持ちに従い、
予定変更します。
いやいやながら
何かをしたり、
どこかを訪れたり、
誰かと会ったりすれば
モヤモヤ感が
ついて回りますし、
エネルギーが下がるからです。
まあ、長年、
計画通りに行った
試しがなかったので、
計画しても意味がない…と、
既に、諦め?悟り?(笑)の境地に至っていて、
素地が出来上がっていた、
と、いうこともありますが(笑)。
その上に、コロナで、
何もかもが、強制停止で宙ぶらりん。
可動域も制限されて
それまでのように、
思い立ったら
ふらっと海外へ出かけることも
できなくなる、という
前代未聞の「想定外」が、加わりました。
「想定外」が
ただ単にコロナ止まりで、
これまで通り、東京に滞在しながら
過ごすことになっていたら、
気が滅入り、
今とは全く違った
展開になっていたかもしれません。
ところが、コロナ勃発前、
昨年、年初に
「想定外」のけがをしたため、
さらに「想定外」で、
鹿児島在住の整体師の
施術を受けるために、
鹿児島へやってこれた。
そのまま、「予定外」だけど、
フィーリングに従い、
鹿児島に滞在し続けている
そのおかげで、
コロナ禍で始まり、
コロナ禍で終わった
2020年は、「想定外」に
有意義な一年でした。
自分であれこれ
操作しようとしたり、
計画したりせずに、
流れに身を任せた方が
一事が万事、うまくいく!
ということを、身を以て
体験できた一年でした。
また、それまでは、
流れに身をまかせるなんて、
「なんだかいい加減なんじゃないか」
「チャランポランなんじゃないか」
と、自分をジャッジしていたことにも
気づかされました。
「目標達成のために
計画を立て、
それに沿って
日々、精進しなければいけない」
という、学生の頃からの
体育会系思い込みが、
まるで、宿便のように
自分の中に染み付き、
溜まっていたのです。
でも、気がつければ、
しめたもの。
あとは残らず表面化させ、
手放し、リセットするだけです。
コロナによる
強制停止期間のおかげで、
そんな作業にも
取り組むことができたのですから
本当に「御の字」です。
…と、流れに任せて
書いていたら、
かなり脱線してしまいましたが、
まあ、いいか。笑
という感じで、
「ケ・セラ・セラ」
体質に改善されて来ているのを
実感する
今日この頃です。
超自然になる ― どうやって通常を超えた能力を目覚めさせるか ―