久々に、封筒に入った手紙が届いた!
IT化が普及、定着し、メールでのやりとりが一般化して久しい今日。
ビジネスならまだしも、プライベートで便箋とペン✒️を取り出して、古き良き「手紙」を書き、切手を貼って、ポスト📮に投函する…なんていう行為は、天然記念物級になってしまったのではないでしょうか。
実際、最後に、友人から封筒に入った手紙を受け取ったのは、いつだろう…と思っても、全く思い出せません💦
そんな中、30年前、ノルウェー🇳🇴縦断一人旅に出かけた時、最北端ノールカップ(北岬)のユースホステルで知り合い、10年ほど前まで文通していたカナダ人の友人から、思いがけずに手紙をもらい、痛く感動しました!
あの頃は、まだ受動喫煙害だけで、飛行機移動✈️もできていたんだ!ユースホステルなんかにも泊まれていたんだ!…と、別の意味でも感動しました🥺
そして、昔に戻ったかのように、封筒に貼ってあるシールや切手に見入ったり、もらった手紙を何度も読み返したりしました。
そうすると、文面に書かれている内容だけでなく、書き手のエネルギーや、思いが、行間や便箋、手書きの文字から、ありありと伝わってきて、まるで書き手の友人が、その場にいるような感覚を覚えます。
かつては筆まめだった…
私も、かつては、1日に一通は手紙を書くほど、筆まめ✉️でした。
海外の友人たちとのコミュニケーションが好きで好きでたまらず、エアーメール用の封筒と、切手は常に十分ストックし、毎日一通は書いていました。(このおかげで、小6の終わりに米国から帰国した後も、英語を忘れずに済んだのだと思います。)
四季折々の便箋や、封筒、一筆書き用便箋、シールなども常備し、気が向いた時に、ふと思い出した友人に、近況報告や思いを綴っては投函していました。
小学生後半は、全日制日本学校でしたし、中学も日本でしたが、数人の友人と、個別に交換日記をしていました。班ノート📓も嬉々として書いていました。とにかく、書くことが大好きだったのです。
社会人になった後も、受動喫煙による化学物質過敏症がまだ軽症で、低周波振動音もまだ発症しておらず、引っ越し回数も、さほどでなかった頃は、まだ、くつろげる部屋がありました。ですから、物理的にも、精神的にもまだ余裕があり、手紙を書くことも可能でした。
Eメールが普及し始めた後も、しばらくは、アナログにこだわり、手紙を書いていました。
ところが、徐々に、迅速にやりとりでき、紙やペンがなくても気軽に書けて、送料かけずに送れるEメールの便利さに、飲み込まれて行きました。
と同時に、化学物質過敏症も悪化、平行して、低周波振動音断眠を発症して、半年から1年に一回引越すようになった末、6年前からホームレスになったので、手紙を出したくても、差出人である自分の住所は不定。
旅先から、絵葉書を出すことはあっても、差し出し人住所を書かなければならない封書では、出せなくなりました。
友人たちも、返事を書きたくても、住所不定の私宛の手紙をどこへ送ったらいいのかわからず。次第に、手紙のやりとりは、自然消滅していきました…
でも、今回、30年も会っていない友人から、時空を超えてエアーメールが届き、改めて、手紙のよさを、再認識しました。
何事をするにも、長時間集中できて、必要なものを常備できるスペースが不可欠である…ということも、合わせて痛感。
化学物質臭や、低周波振動音のない部屋にありつけ、再び「住所」なるものを取得できた日には、また手紙を書く習慣を復活できればと思います。